(1.高校時代の恩師 より続く)
20歳の頃の私を助けてくれたのは、一人は高校時代の恩師、そしてもう一人は高校時代からの友人でした。その友人は傾聴の心と技で私を支えてくれました。今日はその友人のお話です。
2.高校時代からの友人
高校1年生の時にクラスが一緒で友人になった人のお話です。
昨日ご紹介したように人生のどん底に陥っていた20歳の頃、たまたま彼も上京して私と同じ私鉄の沿線に住んでいました。
困窮していた私は、ある日、彼のアパートに上がり込み、「今、こんななんだ」「キツイんだ、ツライんだ」と語りました。半泣き状態で語っていたと思います。
彼は4時間も私の話を聞いてくれました。
それも「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいい」「がんばれ!」など余計なアドバイスはせずに、
ただ「そうか、それは大変だなぁ」「それはつらいなぁ」とだけ相槌を打ちながら聞き続けてくれました。

私は話し続けているうちにグチャグチャになっていた頭の中がだんだんと整理され、前向きな気持ちが芽生えてきました。4時間たっぷり話した後には、だいぶ気持ちが軽くなって帰りました。
ただ、その後、また段々と不安に支配され、ネガティブな状態に戻ってしまいました。
それで再び彼を訪問。今度は2時間位で立ち直りました。
それを繰り返し、3度目は1時間くらい、4度目は30分くらいで立ち直り、4度目で完全に立ち直るスタートに立つことが出来て、5度目はありませんでした。
今思えば、彼は傾聴のプロだったと思います。
彼自身も御実家という点ではあまり恵まれず、苦労してきたと思われます。だからこそ、彼は温かな心と傾聴の技術で、私の心を支えてくれたのだと思います。
彼はずいぶんと大人だったのだなぁと思います。
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古舘伊知郎さんが「凹んだ時によくアントニオ猪木さんの所に行き、自分があれこれずっと話し、猪木さんがずっと聞いてくれていた」と語っていたのを聞いたことがあります。
猪木さんは傾聴の技術と器、そしてそれを実現できる温かな心と強い心を持っていた方だったのではないかと想像しています。
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私も30歳を過ぎると人から相談を受けることが多くなりました。
40歳台で自治会の地区長を務めていると、いろいろな問題で地域の方のお話を聴く機会も多くなりました。そのような時、友人が私にしてくれたことを思い出し、まずは寄り添って話をお聴きするようにしています。
彼は人生の師匠でもあります。
ただ、傾聴には難しい面もあります。それはまた後日・・
恩師と友人、お二人のおかげで20歳の頃の危機を脱して学業も修め、社会人となって安定した生活を送ようになりました。
実は30歳前後と40歳前後にも人生の危機に立たされたことがありました。
この時も絶望のどん底にいる私を周囲の多くの方が支えてくださり、そのおかげで窮地を脱することが出来ました。
20歳の危機を乗り越えた経験があったからこそ、30歳の時も40歳の時も周囲の方々に相談し、助けて頂いたことに繋がっています。
その意味でも、20歳の頃にこのお二人が私の人生に与えてくれた恩は山よりも高く、海よりも深いものでした。
たいした事も出来ない私ですが、頂いた恩を少しでも世の中にお返ししたいと思い、自治会、同窓会、神社、里親など様々な場で下働きを続けています。
お二人が私の「支え合いの心」の原点です。
(続く)
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