支え合いの原点と受援力 (3)

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2日間にわたって、私の「支え合いの心」の原点となった 恩師友人 が私に授けてくれた恩をご紹介しました。
今日からは支え合いの受け手に必要な「受援力」について考えてみたいと思います。

3.受援力

最近よく「受援力」という言葉を耳にします。困った時には「助けて!」と言える受援力が大切です。支援に繋がります。
災害の現場でもそうですし、社会的養護で育った青年の自立時苦労談からも、誰かに支えてもらうための受援力はとても大切だと思います。
※社会的養護:諸事情で実家で育つことが出来ない子供を里親家庭や養護施設に預けて養育すること

でも、「助けて!」と言うだけでは上手くゆきません。
人の好意を呼び込み受け入れる器の用意が無いと、好意を受けることはできません。
そこで受援力に絡んで、いくつか私の経験から思うことをお話しいたします。

1) まずは自分自身が一生懸命に努力できるか?

私が人生で三度、絶望的な危機に陥った時、実に多くの周囲の方々が私を支えてくださいました。
私を支えてくださった方々は、たぶん私が必死になって頑張っている姿・闘っている姿を見ていたからこそ、心を寄せてくれたのだと思います。

もしこれが、自分では何もせず、人に「何とかしてよ」と頼る他人任せの態度だったら、誰も助けてくれなかったことでしょう。
誰だって自分の生活と人生があります。他人任せの人におんぶに抱っこされたら、たまりません。そんな人には関わりたくないと思うはずです。私だって、そのような方に寄り添いたいとは思いません。

まずは苦しんでいる人自身が何とかしようと一生懸命に頑張ること、闘うことが必要だと思います。

ただ、これはたまたま向こうっ気が強くて「負けるもんかっ!」と頑張ることが出来た私の「強者の論理」なのかもしれません。
持って生まれた性格やその時に置かれた状況で、がんばることが出来ない、闘えないという方もいると思います。
そのような方にはどうするべきなのか・・

たぶん、善意の個人が支えきることは難しいと思います。他人を支えようとする善意の個人の生活や人生が犠牲になってはいけないと思います。
踏ん張ることが難しい人を支えることは、おそらく行政など職業として任務としてあたる組織と人でないとできないと思います。そのような組織の更なる充実と、困った人をそのような組織まで繋がる民生委員さんなどの仕組みの維持が大切だと思います。

とは言え、やはり苦境に陥った人自身も甘えていてはいけないと思います。
まずは自分で出来る範囲で良いから、少しでもいいから頑張って闘うこと、何とかする!という気持ちを持つこと、そこからだと思います。

そのうえで、「助けて!」と言うことが大切です。
でも「助けて!」というのが難しい人がいらっしゃいます。と言うよりは「助けて!」と言えない方のほうが多数派です。どうしましょうか?
その辺りについては、明日考えてみたいと思います。

(続く)


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