支え合いの原点と受援力 (1)

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防災に限らず、生きていくうえで、人生全般で大切な人と人との支え合い。
以下は、私の「支え合いの心」の原点となった個人的な体験です。
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ヒトは一人では生きてゆけない・・
私はもし気が弱かったら首を吊ってしまうような深いどん底に陥ったことが、人生で三度ほどありました。
もちろん、自分自身で踏ん張り、抗い、闘いました。でも、一人では心折れることもある。
世の中や物事を知らないし、法律とか専門的なことも分からない。

そんな時、周囲の大勢の方々が温かな心で私に寄り添い、支えてくださいました。
そのおかげで、生き抜くことが出来ました。
まずは自分自身で頑張らないとどうしようもない。でも、ヒトは一人では生きてゆけない。そう身に沁みています。
自治会役員や里親を長く務めているのは、そんな経験からです。

最初のどん底、20歳頃の時の私を救ってくださった方が二人いました。
今日はその一人目、高校時代の恩師のお話です。

1.高校時代の恩師

その恩師は高校1年の時の担任で、部活の顧問でもあった先生です。

20歳の頃の私は、朝の6時から深夜1時までバイトを三つ掛け持ちしながら自分の稼ぎで生活し、学んでいました。
けれども、その夜の晩御飯のお金も無い・・という赤貧状態。住む所が無くなったらおしまいと、必死にアパートの家賃だけは滞納しないように歯を食いしばっていました。

しかし、いろいろと実家の問題等もあり、いよいよ人生お先真っ暗という絶望の淵へ・・
まだ人生経験も浅い年頃の青年にとって、いざとなれば頼れる実家という後ろ盾があれば心強いのですが、後ろ盾が無い私は心細くて不安で不安で、不安に押しつぶされそうな毎日でした。
かろうじて「稼がなきゃ」とバイトに出かけていたのでまだ良かったのですが、それが無ければ引きこもりになっていたと思います。

そんなある日、用向きがあって母校を訪問した時、高校卒業後の私の苦境をご存知のその先生が声をかけてくださいました。
「カミさんの実家が塾をやっているから、講師のバイトをさせてくれるように頼んであげようか?」

奥様の御実家は遠かったので実現はしませんでしたが、でも、その一言が私を救ってくれました。
「あっ、僕の事を見てくれている大人が居る」「僕の事を心配してくれている人が居る」

天涯孤独のような身に、先生の温かな思いやりがうれしくて、心強くて、ありがたくて。涙が溢れそうでした。その時の窓の外の光景まで、今でもよく覚えています。
まさに地獄に仏の心境でした。
今も当時を思い出すと、目頭が熱くなります・・

後年、先生にお会いした時に「あの時には、ああ言っていただいて救われました」とお話ししたところ、先生は「そんな話、したっけ?」とご記憶には無かったようです。
先生にとっては、さりげない、そして当たり前の一言だったようですが、私にとっては人生を切り拓く勇気を与えてくれた一言になりました。生きる希望を与えてくださいました。

社会に一人立ちしたばかりの青年には後ろ盾が絶対に必要です。そして、生まれついた実家が運悪く後ろ盾にならない青年も居ます。
拠り所の無い子供達の後ろ盾になってあげたい、そんな想いで里親をやっています。

皆さんも、もし回りにそんな青年がいたら、面倒まで見てあげなくてもいいですから、「気に掛けているよ」とだけでも声をかけてあげて頂けると、その青年は救われると思います。

(続く)


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