山のお供え


今回からは防災・減災に限らず、日常生活の中で、ふと思ったことなど綴ってゆきます。

先祖が代々暮らした土地は山奥のへき地。今はもうダムの湖底に沈んでいます。

どの集落でも入口には必ず野仏が祀られていました。
山の神、馬頭観音、お地蔵さん、水神様に荒神様。そんな石碑が集落を守っていました。

集落の入口だけではありません。山への上り口にも、なにかしらの石碑が祀られています。
山仕事に入る時、その前で手を合わせ、山での無事を祈ってから山に入ります。

さて、そんな山仕事に行く日には、お昼におにぎりを3個食べようと思ったら、必ず1個余分に4個を持ってゆきます。そして、お昼に3個食べ、残りの1個は残して持っています。

一日が終わり、山を下りたら、再び石碑の前で手を合わせ、山の神様に無事に山を下りたことを感謝します。そして、残してあった1個のおにぎりをお供えするのです。
そう、残りの1個は山の神様のために・・

この余分おにぎり、実はとても大切な意味があるのです。

普段通いなれた山でも、迷うことがあります。何かのアクシデントで日が暮れてしまうこともあります。怪我をして動けなくなることもあるかもしれません。

山では里よりも早く、そして急激に暗くなります。山の夜は真っ暗闇です。
周囲の木々の間に得体のしれないバケモノが渦巻いているような気がしてきて、とても恐ろしい・・

だから、帰るのが予定より遅くなると焦ります。暗くならないうちに里に帰りつかねば・・
そして、往々にして焦りは事態を悪化させます。焦ってミスをします。
更に方向を間違えたり、怪我をしたり・・

ここで残しておいた おにぎりの出番です。おにぎりが1個、胸元にあるだけで「いざとなったら、このおにぎりを食べて夜を明かせばいいや」と心が落ち着きます。
落ち着けると、焦ってミスすることもなくなります。冷静に、真っ暗になる前に里に帰れます。
1個のおにぎりが とても心強いのです。

もし帰れなくなって本当に山で夜を明かすことになっても、その1個のおにぎりを食べると勇気が湧くことでしょう。肝も据わるでしょう。

おにぎりを1個余分に持ってゆく・・
それは人の心理を考えた、山に生きる人々の知恵なのです。

日常生活でも、防災・減災でも、たぶんそう。
備えがあれば人は冷静でいられます。慌てることなく、間違えた判断をせずに済みます。
コロナ禍のさなかに米やトイレットペーパーが店頭から消えるパニック買い、あんなことも起こさないでしょう。
まさに備えあれば憂いなし。

下山時に山神様にお供えしたおにぎり、翌朝にはきれいに無くなっています。
イノシシか狸が食べたのか、山神様がお召し上がりになったのか・・
私は見たことがありません。


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